メラピーク▲6400m in Nepal 2012/10/1~10/18

 タイに住んでからネパール行きが再開してしまい、連続3回目の山旅となる。
9月30日にカトマンズに入り、相棒のアマチュア写真家、自称遊び人、照さんとエージェントのテイカさんを交え細かな打ち合わせをする。二人のメンバーにガイドとクライミングシェルパ、ポーターが二人付いて1人US$2500だ。
「よく、この金額でオーケーしてくれたね」と照さんが小声で耳打ちした。「バッティ泊まりだからね」と答えるが、いつもキッチンボーイ付き大名トレッキングをしている彼にはピンとこないらしい。
「ハイキャンプのみテント泊よ、クライミングシェルパはアタック当日にBCに来る」と言うと、ようやく登山費用が安いことが納得できたようだ。
 わたしは登山費用を安くあげるために、このスタイルを良しとしているが、今回に限って言えば、テント泊がベストだったかも?と言うようなパプニングだらけの山旅で、はたして無事にBC入り出来るんだろうか?と、のっけから不安だった。



遊び人HP:http://www.asobinin-teru.com/



 第1日目から悪天候のためにルクラ行きのセスナが飛ばず、2日間ウェィティングする。3日目の朝、テイカさんがヘリコプターで入った方がいいと提案した。2万円の追加料金とのことだったが、乗る寸前になり予約が多く乗れない可能性があるとのことで3万円に値上げされた。高〜っ!
「500US$も払うんだからさ、今日の行程の尾根に降ろしてもらおうじゃないの」と言っていたら、尾根どころか飛行場の下の谷底に降ろされた。
 ヘリのクルーがレバーを下げたときは「は?こんなはずでは…」と目が点になった。「えっ? いったいルクラの飛行場までどれくらいかかるの?」と誘導のお兄さんに聞くと2時間だそうで、谷底から600mも這い上がらなければならず、やれやれとんだアルバイトだ。
 ルクラに着き、遅い昼食を取り、午後3時に出発。飛行場の裏山から登山開始となる。夕暮れが迫り、湿った空気が辺りを包み乾期のネパールとは思えないくらいじっとりしている。2時間半でChutangに到着したときは日がとっぷりと暮れていた。







第2日目 Chutang〜TuliKhara 8h
 2日目の行程はZutrwa La 峠(4610m)を越え、下ったところのTuliKhara泊まり。峠まではうっそうとしたシャクナゲの林の中の荒れたトレイルの急登で筋肉がギシギシ痛んだ。アップダウンも多く、エベレスト街道のポーターは1日1000Rだけど、このルートは1300Rだというのがうなずける。こんな大変なルートとは知らなんだ。
 バッティの食事はまずく、レパートリーもない。たいていはネパールの定食、ダルバートが食べられるのだけれど、ダルバートの付け合せのジャガイモカリーが生煮えだ。ボイルドポテトを注文したら、これも歯が立たないくらいに固い。圧力釜があるんだから、もうちょっと柔らかくなるまで煮てくれても良さそうなもんだ。カラスが欲しそうに見ているので放ったらカラスも食べられないらしく転がして遊んでいた。
 何も食べずに8時間近くの峠の登降は相当にキツい。峠から1時間半下ったバッティに到着したときはヨレヨレ状態だった。
「なんか、頭がぽーっとするから高山病かも?悪寒もするし…」と湯たんぽを抱えて寝袋に入った。相棒に「そんな?もし高山病なら寝たらだめだよ」と言われて、「こんななずではなかった」とふう、ふうと寝袋から首だけ出して息を吐いていた。






第3日目 TuliKhara〜Gondishung 7h
 昨夜のレッドブル(タイ製、ドリンク活力剤)が効いたのか、朝インスタントラーメンが食べられた。山間から谷底へ登り下りを繰り返し、川に沿って遡行していく。それにしてもいつものトレッキングとは違い道が悪く、まるで沢登りの高巻きをしているようだ。いいかげんにくたびれて来て、
「なんだかヒマラヤらしくないね〜、白い山はいったいどこなの?」と愚痴が出る。それにどこにもトレッカーがいないし、テントもない。入山したときに欧米人のビックパーティに出会ったきりだ。まだセスナが飛んでいないらしく、寂しいかぎりだ。
 Gondishungの宿に到着したときはお腹がぺこぺこだった。おやつにフライドポテトチップスやポップコーンを頼んで腹ごなし。ここの食事はまあまあだったので飢え死にしないで済みそう…。食欲も戻ってやれやれです。
 3日目にして、ようやく谷底から、お待ちかねの白い山も見えてヒマラヤらしくなってまいりました。






第4日目 Gondishung~Tangnag  5.20h
 左手にクスムカングル▲6367mの急峻な頂を眺めながら、気分も高揚しご機嫌になってきた。ガイドのデムラムさんは登山家の山野井さん夫妻をクスムカングルのハイキャンプまで案内したとか。
「妙子さんは強いです。マキコさんは強くないです」と妙子さんと比べられてしまった。そんな桁違いのプロフェショナルと比べられてもねぇ... 弱くて、すみませんです。
 下って来る欧米の登山者とすれ違い、メラピークの状況を聞くことができた。メラピークは頂上直下のクレパスが大きく開き、登頂出来ない登山者が多いと情報を得ていたからだ。
 彼等は一様に「ものすごく風が強く、寒い」と言っていたが、クレパスについては迂回していくので問題ないと教えてくれた。そうか、登頂の可能性は高いのだ、と嬉しくなった。
 谷底のどん詰まりの宿、Tangnagに泊まる。
ここで高所順応のために2泊する予定だったが、相棒もわたしも調子がいいので、1日分の行程を縮めてBCのKhare Campに入ることにした。




第5日目 Tangnag〜Khare Camp BC 3.5h
 やっほ〜! 素晴らしいロケーションになったぞ。
青い天空をキャンバスに、白い屏風のように立ちはだかる峰々は陽に反射して、まばゆい。谷は次第に拓けてゆき、雪解け水が弾け終わりのない旋律で流れてゆく。草地には青い小さな花が咲き乱れ、まるで小さな楽園のようだ。
「すごいじゃん、これがネパールよね〜!」と満足この上ない。ポーターたちと残りのポテトチップスを広げて、小さな楽園でしばし休憩タイム。
「今夜の宿はすばらしいロケーションのところを見つけてね」とガイドとポーターに頼む。すると、メラピークを目の前に望むバッティにしてくれた。
 両側をモレーンの丘に囲まれた窪地にあるKhareは、風も当たらずなかなか快適なBCだ。北側の丘に登ると鋭い頂の白い峰が槍のように天空を突き刺している。
 ピーク43は4つの稜を持つ急峻な頂でネパール人の信仰の対象の山だそう。その隣のピーク41▲6648mはUKの若者パーティが目指す山だ。Mera La BCを経てのバルンツェ▲7000mは、前回のポカルデのメンバーが二人参加している。他は欧米人のパーティが20ほど入っているとかで荷揚げのポーターで混雑していた。
 わたしたちが目指しているメラピークはトレッキングパーミッションで登れる一番高い山で、欧米人に人気があるのか老若男女問わず大きなパーティが入っていた。





第6日目〜8日目 stay in Khare Camp BC 
 高所順応をして、翌日7日目はハイキャンプ移動だった。ところが、ハイキャンプに移動中に雷が轟き、まもなく雪になった。モレーンの丘を登り終わるころには雪が激しく降り出して道がわからなくなった。クライミングシェルパラクパさんが引き返したほうがいいとのことで急遽BCに引き返した。翌日を天候待ち兼、休息日に当て、翌々日にハイキャンプに入ることになった。


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9日目に天候も治まって、ハイキャンプに移動。7h
 3時間のモレーンの丘を登り詰めて雪面に出る。ここからも緩やかだが果てしない登りが続く。岩稜の陰がハイキャンプになっているとのことだが、クレパスのためにぐるりと回り込むので、岩は見えてもなかなか辿り着かない。ようやっと着いた時は食欲もなく、ぐったり。アタック用のゼリー飲料で空腹を満たした。夜中にお腹が空いてカレーウドンを作ってもらうが食べられない。アタックは4時間の行程だからなんとかもつだろうとまたゼリー飲料で空腹をごまかす。まるで修験道者のようなハングリー山行だ。







Photo by Teru


第10日目の朝3時にアタックに出る。
 満天の星で北斗七星が大きく雪面にシシャクの柄を伸ばしている。恐れていた風もなく、絶好の登頂日よりだがクレバスはどうなっているんだろう、と不安になる。
 4人でアンザイレンし順調に登行していたが、突然目の前に大きなクレパスが立ちはだかった。10m程下に細い雪のブリッジが見える。ラクパさんは渡るかどうか迷っていたようだが、この先もクレパスが多く雪で隠れてしまい危ないと言う。標高は6000mだ。

 しばし、考えたがハイキャンプに引き返すことにした。絶好の登頂日よりだがクレパスには落ちたくない。しごくあっさりと引き返したが、相棒は残念そうだった。
 ラクパさんはメラピークを30回案内しているというベテランなのだ。4、5日して天候が落ち着いたときにシェルパが集まって新しいルートを作るそうだ。
 ハイキャンプに戻り、腹ごしらえしてKhare Campに下山。パッキングをし直して、下の村のTangnagに降りる。
 さてさて、今日はロキシ(焼酎)で宴会だ。
ヤクの干し肉をかじりながら、ちょっと辛いロキシを飲む。干し肉は干したアワビのような食感でなかなか味わいがある。タイ菜を茹でてもらうとこれがまた驚くほど甘く美味しい。醤油をちょっとたらして酒の肴にした。なんとも幸せな山旅だ。
 天候が回復しセスナが飛んだせいか、キャンプ場はメラピークご一行様のテントであふれていた。コスモトレックの日本人の単独登山者とも出会う。メラのコストを聞いたら日本からで倍以上する。






第11日目 Tangnag〜Toktor 7h
 下山の行程を縮めて地図に載っていないToktorのバッティに泊まる。新しいバッティで木の匂いがする。ここでもまたロキシで宴会。ヤクの干し肉は新しいもので柔らかく甘かった。食欲も戻り食事がおいしい、と言っても湯で野菜とワイワイ(ネパールインスタントラーメン)、焼き飯、シーチキン缶、フライドポテト、ゆで卵にチベッタンブレッドなどシンプルなものばかりだ。



第12日目 Toktor〜Kharkiteng 7h
 宿が満杯でテント泊となるが標高が低いので温かい。ここで最後の宴会となる。ルクラの宿は飲み物が高いので、ここでスタッフたちと大宴会をすることにしたのだ。
ロキシをボトルで頼んで、例のごとくフライドポテトとポップコーンを作ってもらった。焼き飯を作ってもらったら以外と美味しい。相棒はダルバートで、高所でも食欲は衰えないし、さほど水も必要としない特異体質で心拍数も50とか。なんともうらやましい。



第13日目 Kharkiteng〜Lukla 5h
 ここからは下る一方だが、目の前にルクラ飛行場が見えるのになかなか辿り着かない。山肌をくねくねと曲がり、次の山を回りこんだら着くかな?と思うと、逃げ水のように遠くなる。昼過ぎにルクラに到着し、久しぶりに布団のあるベッドで就寝。メンバーと安着祝いをする。インディアンチキンカレーが美味でした。



第14日目 Kukla〜Katomandu
 心配したセスナも無事にフライトして、無事にカトマンズに戻ることができた。
天候がいいのにカトマンズの上空で数回旋回し、なかなか着陸しなかった。思わず、パラシュートはどこだろうと椅子の下を覗いたが、無事に着陸してほっ!最後まではらはらした山旅でありました。