カマド in Nepal

 バッティは寒いので、食事時は火のあるカマドのまわりに集まった。
うす暗いそまつな小屋で手を火にかざし温め、汗で湿った背中を乾かした。
 ポーターのニマは働き者で勉強家だ。食事の用意をしている以外は日本語を勉強している。高校生のように見えるが21歳だそうで、結婚して赤ちゃんがいるそうだ。語学を習得したら、近い将来ガイドになれるだろう。
 ガイドになるには規定がなく、たいていポーターを10年ほど経験してから、ガイドになるようだ。デブラムさんは9年間ポーターをしながら日本語を勉強したそうだ。彼は文盲なので耳で憶えたそう。


 2004年にエベレストに登ったとき、シェルパの一人が20歳のカミンだった。わたしの力がない分、強いシェルパを4人雇用したかったが、アンバブさんにエージェントのシェルパを一人入れてほしいと頼まれカミンを雇用した。
 4人のシェルパスタッフのうち、2人が高山病になり不調で、実際は8000m峰のエキスパートであるペンパと若いカミンが活躍した。この二人のお陰で登頂できたのだ。
 その後、ペンパは会社を立ち上げ、カミンは毎年2回エベレストをサポートし登頂している。カミンには登頂のお礼に高価な羽毛服とイタリア製の高所靴をあげた。足のサイズと背丈が同じだったのだ。登頂できたわたしもラッキーだったけれど、彼もまたラッキーボーイだと思う。


 ニマはかまどの側で小さなノートを広げ、わたしが答える日本語をローマ字書きにして、繰り返し発音の練習をしている。自分で道を切り拓く能力を持っている若者だと思う。
 日本語を教えているとタイの生徒たちを思い出した。小さなチームは一人で日本語の勉強をしているかなぁ…。