こころの空白


 河野千鶴子さんが遭難死して以来、こころの中に空白ができて力が入らない。
ネパールは雨季で、山は雪だろうに.....寒かろう、一人で寂しかろう、と思う。
 山に登らない友人が「山で死んだのだから、本望でしょう」と言った。「そうじゃないって、あんなところで死にたくないよ」と応えたが、「そんなら、なんで行くのよ」と言われても反論できない。



 先日、放送されたNHKの河野さんの特集、「クローズアップ現代」はジェンダーの視点から番組を作っていた。
 彼女は鹿児島県で生まれ、男尊女卑の風習のなかで育ち、東京で看護師として働き、結婚した。
 中年になって、夫婦喧嘩がきっかけで登山を始めたと言っていた。そこには男女差別がなく、山にのめり込んで行ったが、始めての海外登山で体力の差から、登頂アタックメンバーに選ばれなかった。それ以後、ひとりでネパールに出かけシェルパガイドとポーターを雇い、好きな山に登っていた。



 わたしは、2003年、ネパール政府主催のエベレスト50周年記念イベント、未踏峰の山、パリラプチャ登山で彼女に出会った。彼女はすでに職場を早期退職し、年に2度はネパールの山に足を運んでいた。
 そして、2004年の春、河野さんとエベレストの登山費用をシェアし、チベットサイドから登頂することが出来たのだ。彼女に出会わなければ、わたしの8000mはなかったと思う。



 登山に男女の差はなくても、体力の差は歴然としている。
公募登山では、男女、年齢に関係なく荷揚げの荷物を振り分けられた。若者とのパーティの場合、当然足を引っ張ることになる。
そんな経験もあったので、河野さんの登山スタイルに賛同した。それならば、自分の体力に合わせて山に登ることができるからだ。
 問題は資金で、海外登山のため正規の仕事と自宅での内職で仕事漬けの日々になった。?千万を山に使うという河野さんの山三昧の暮らしがうらやましかった。家族の理解と協力がなければ出来ないことだろう。



 また、河野さんはボランテア活動に力を入れていた。
ネパールの子供の里親になり、学校宛に教育資金を送っていた。ダウラギリに行く前もネパールにボランテアに行く、と言っていたし、311の東北大地震の際もボランテア看護師として参加していた。 



 まだ、葬儀は行われていないと言う。10月に遺体を降ろす、と山友から聞いた。
一日も早く家族のもとへ帰れますように、と願う。河野さん、出会いをありがとう!
 

 

河野さんはブルーポピーが好きだった。

Photo by Iwasaki