「たかが世界の終わり」監督 グザヴィエ・ドラン


 家族のディスコミニュケーションの話。
主人公の作家のルイは12年ぶりに帰郷する。自分の死期が近いことを家族に話すため重い気持ちで足を運ぶのだが、前菜からデザートまでの間、母親や兄夫婦、妹の錯綜した会話で埋められる。寡黙な彼はいつ告げられるのかと緊張しっぱなし。ーーーこんな緊張を強いられる映画も珍しい。


 家族ってなんだろう?と思ってしまった。
かつて同じ時間を共有した最小の共同体は、それらの時間の受け入れ方がそれぞれ違う。それは人間形成にも影響される。ことごとく食い違った時間を取り戻すのは難しい。


 どこの家族にも些細なことはあることだろう。
たとえば、わたしは長女だったのでいつも新しい洋服を着ていて、成績もよく褒められることに慣れていた。2歳下の妹はお下がりを着せられ、やんちゃでおしゃべり、誰からも愛される性格で、無口なわたしは羨ましく思っていたが、数年前、両親の法事で家族が集まった酒席で、妹がそのことを話しながら泣いたのだ。ことごとく違っていたと....。


 答えを丸投げにされる映画はきついね。
今は、平和でハッピーエンドがいいわ。恋に落ちたカップルや幸せに老いたカップルなど、なんやかんやとあるけど楽しい時間を持っている家族や友人たちと会う方が楽しい。


たかが世界の終わり」監督 グザヴィエ・ドラン https://youtu.be/Vfa53oE1nD0