贅沢貧乏


 森茉莉の「贅沢貧乏」を読み「あなたみたいよ、ね?」と友人に言ったことがある。すると、彼女は「貧乏なんだけど、貧乏くさいのは嫌なのよね」と言った。


 貧乏なのと、貧乏くさいのはどう違うんだろうか。
例えば、タイのバンコクには無料のバスが走っていて、バス停で待っていると何本に一本かそのバスがやってきて混み合っている。 長期滞在の日本人シニア世代が滞在費を安く上げるために、そのバスしか乗らないと聞いたことがある。
 ーーータイの生活費が安いからとはいえ海外で暮らせるんだから、ちゃんとバス代払ったら?「貧乏くさぁ.....」と思ってしまった。 


 わたしは気に入ったものを何十年も着る。長袖のTシャツは袖口が擦り切れたら、切り落としてノースリーにしてトレーニング用にする。何万回も水をくぐり、皮膚の一部のようになった綿は汗を吸い取り心地よい。ネックや裾がバラバラになってようやくガラス磨きなどの掃除用にして捨てる。
 フィールドワークしている友人も同じことを言っていて、「着古しが好きなんだね?あげようか」と言われたとか。「着古し」じゃなくて、「着古す」のが好きなんだよ、と言っていた。
 ーーーこれって、傍目には貧乏くさいかも?


 貧乏って、基本的な生活の衣食住が困難な場合だ。家賃を滞納し、電気やガスを止められ、食べるもの事欠くということ。公的支援を受けられなかったらホームレスになるしかない。


 当時、お互いにシングルマザーで臨時職員の身の上、二重に仕事をもち子供の大学進学の資金を工面していたんだから大変だったんだけど、貧乏という自覚がなかった。「よう、働いていたよねえ....」としみじみ思った。
 それに、世間ではバブルだ、バブルが弾けたと騒いでいたけれど、いったい、なんのこと?と思っていた。「わたしの暮らしにはバプルなんぞ、なんの関係もなかったわ!」と言ったら、受けた。
 ーーーほんとさぁ、これからだって関係ないのかもよ?


 と、大雪なのに暖かい部屋で一緒にランチをする幸せを噛みしめました。