タイでボランテア・ワーク


 教職退職後にタイでボランテア活動をしているシニアの先輩は、今年も元気でタイの学校訪問を終えて帰国した。彼はタイの学校を回り、ハーモニカや書道、折り紙、音楽の指導をしている。


 今回はノンカイ県『バン・ナーナン小学校』で、1年生に折り紙とハーモニカを指導し、札幌の日赤奉仕団からいただいた歯ブラシも150本ほどを配ったとのこと。地道な活動に頭が下がる。
 日本では、タイの留学生受入の手配をしたり、日赤奉仕団で救急手当の講師、またスキーパトロールのボランテアもしていて、「年を感じます」と言いながら元気に活動を続けている。


 わたしが日本語教師めざしていたとき、彼はタイ東北部の寒村で日本語教師をしていた。
蛇やサソリが出る何もない部屋でサバイバルな生活をしていて、「はたして、わたしに出来るのか?」と不安になった。
 しかし、同時にわたしより高齢で、且つ元気で生きているということは、出来るかも?」と思ったのだ。ーーー本来が能天気なんだねぇ....。彼が教職についていたということを忘れていた。


 わたしは人と話すのが苦手で、考古学の作図を天職だと思っていた。ーーー土器と会話していれば仕事になるんだからね。
 日本語教師としてタイに来て、初めて人間相手の仕事を始めたのよ。そうしたら、生徒は生き物だから思いどおりにはいかなくて、案の定四苦八苦した。そのうち、やんちゃな生徒たちを手なづけるのが楽しくなって、毎日汗だくで奮闘していましたね。


 なんでもやってみなきゃ、わからんもんです。
自分の子供以外、かわいいと思ったことはないんだけど、タイの子供たちがたまらなくかわいいと思えるし、懐いてくる生徒たちが愛おしい。一つの世界だけじゃなく、違う世界に足を踏み入れてみるのはいいことなんだと思う。