「吾輩は猫である」夏目漱石


 2年生の「日本文学」は文学の歴史と代表的な作家を、との要望なので、そのうちの一人に、千円札にもなってる夏目漱石はどうかと思いデジタルで検索したら、著作権切れだそうで何冊かフリーで読むことができた。有名な出だしの『吾輩は猫である』を選択。


 だが、ページ全体が漢字だらけで真っ黒だ。内容もいまから100年以上も前のことで、当時のインテリには受けたかもしれないが、いまのわたしにも難しい。そこで、あらすじをまとめ、出だしの2、3ページ、『吾輩は猫である。......』から始まって、書生に捨てられ、苦沙弥先生のところに辿りつくまでを紹介することにした。


 漢字だらけなので、ひらがなになおしたり、ルビを振ったりで、やたらと時間がかかり、昨日は疲れて9時に寝てしまい、今朝は7時にお隣りのおちびちゃん起こされた。おちびちゃんは眼が覚めるとパジャマのまま、わたしの部屋に飛び込んでくるのだ。


 みんなで市場に買い物に行き、朝ごはん。その後、お隣さんは教会へ。わたしはまた「吾輩は猫」の続きをはじめて、3時過ぎにようやっとまとまった。
 ーーーやれやれ、タイ語の本だって読まない生徒に....。猫に小判かも?と思わないでもない。


 でも、ま。漱石を再読できてよかった。こんなことでもない限り、再読することなんてないだろうから。それに新たな発見が....表現がリアルで言い得て妙。さすが文豪ですね。


 で、猫はどうなったかというと、主人のビールを舐めて水瓶に落ちてしまい、いくらもがいても這い上がれない。
『次第に楽になってくる。苦しいのだか有難いのだか見当がつかない。水の中にいるのだが判然としない。何処にどうしていても差し支えはない。ただ楽である。
 否、楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落とし、天地を粉せいして不可思議の大平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの大平を得る。大平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀南無阿弥陀仏。有難い有難い。』


 川端康成堀辰雄も再読してみようと思っているが、どうかな? デジタルは眼がすうすうしてすぐ眠くなる...。本はやっぱ、紙がいいね。