スティル・ライフ 池澤夏樹


 『ーーー大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、蝉時雨などからなる外の世界ときみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして。』


 この文章は星野道夫の「旅する木」の世界と似ている。
 たしか、『ーーー僕が、いまここにいるとき、アラスカの海ではクジラがゆうゆうと泳ぎ潮を吹いている。大切なのはもうひとつ世界を想像できること』というような文章だったと思う。


 想像のかけらもないような生活をしていると、なんだか落ち着かなくて妙に侘しくなった。心を浮遊させる時間が必要なんだよね。もうひとつの世界と連絡をつけて、ふわっとやさしい気持ちになれるのは幸せなことだ。人に焦がれるように山に情熱を傾けた日々が懐かしい。


 学期が終わり書類を片付けていたら、アンナプルナ内院のトレッキングの報告が出てきた。トレッキングで出会ったアメリカの女性が送ってくれたものだ。再読して、来春にまたネパールに行ってみようかと心が動いた。