函館タイムトリップ

 

 子供のころ函館は大都会だった。
道南の江差松前の間にある小さな漁村から函館に出るには、バスと汽車を乗り継いで半日かかった。
 毎年春、祖母が函館の護国神社の慰霊祭に出かけるのに付いて行った。鼻付きバスはガソリン臭く、乗って5分もしないうちに酔った。具合の悪いまま蒸気機関車に乗るので、こんどは石炭の匂いでますます酔った。祖母が車内販売のお茶やアイスクリームを買ってくれても飲まず食わずで、函館駅に到着するころはふらふらして目が回った。

 そんなしんどい思いをしても函館行きは楽しかった。
舗装された通りやデパートが珍しく、祖母はわたしに甘かったのでなにかねだろうとわくわくしていた。カールができる金髪のお人形を買って貰ってもらった。フリルのついた白いワンピースを着て赤いエナメルの靴を履き舗装した通りを歩いている自分が嬉しかった。
 いつだったか、函館公園で満開の桜の下を歩いていると、乞食の子や片足のない負傷兵が物乞いをしていた。わたしは祖母のたもとの陰に隠れるようにしていた。可哀想に思いながら「あの子にお金をあげて」と言えなかった。物悲しいアコーティオンの響きが耳に残っている。
 ある時の春、夜の公園は桜の花で真っ白だった。夜桜は妖しく艶かしい。子供ながら、桜の花の下には死人が眠るって本当かも知れないと思った。


                   ***


 いま、子供のころの道を辿ってみると、神社の階段はもっと高かった気がするし、函館の坂道もこんなんだっけ?と思う。
函館は実家への通り道であり、また晩年父は函館の病院に入院していたので札幌から見舞いに通っていたこともあるが、観光するのは子供のころ以来だ。


 観光客になってみると、ちょっと視点ちがうのでおもしろい。
レトロな喫茶店に入ったら、若者4人組が4人ともてんこ盛りのパフェを食べていた。それもスマホをいじりながら。なんかおかしな光景だ。話はしないの?旅行してんのに.......と思っちゃうよ。
 朝市で、元気な団塊の世代が「おとうちゃん、これこれ、こっちがええんとちゃう?」とカニの品定め。カニは当たり外れがあるし、すり替えられるかも知れないから、買ったらマジックで甲羅に名前を書くといい、と言う地元の人のとんでもないアドバイスを思い出して笑ってしまった。


 そして、帰り。JRが雨のため運休。
またかよ!とバスの予約に行ったが満席。3連休で宿は取れないし、仕方がない、と飛行機のチケットを買いに行ったら、JRが運転再開したとの情報が入った。駅に戻り、一つ前の列車に変更してホームで待つ事2時間。みんなスマホをいじっている。スマホのおかげで待つ事も平気なんだね。列車はようやく札幌から到着して、やれやれ。
 エイリアンが地球人を見たら、「地球人はみな手に小さな箱を握りしめているから、すぐわかる」と言うかもね。札幌の地下鉄で、目の前の女の子が扉の前で文庫本を読んでいたのが新鮮だった。