311東北大震災


 誕生日が近年にない大災害の日と重なってしまった。
わたしがふっと自分のことを振り返る日に、多くの人びとがまだ悲しみの中にいる。
 復興も除染もままならぬ現状で被災者は仮説住宅に住み、自宅を再建するかどうか迷い、行政では手抜き除染が浮き彫りになっている。


 辺見庸の「ものを食う人びと」1994年刊行を再読していた。
1984年4月のチェリノブィリの原発4号機のその後の人々を取材していて、書かれていることが福島の原発事故と良く似ている。4号機は放射能漏れを防ぐためコンクリートで固められたがひび割れて、今も回りは汚染濃度が高い。
 政府は大丈夫だとお経のように唱え、人々は一旦避難したものの村に戻り、汚染されたものを食べている。人々は忘れ易い。日本ものこようになるのだろうか。この問題は風化させてはならない。


 ドイツのニュース番組が日本の原発事故とデモを放映していた。原発を再稼働させないために何ができるのだろう、と誕生日に思う。