金のなる木

 給料日には金庫番の先生の隣の机に「金のなる木」が登場する。
木の枝にたくさんお札が挟んである。「たんぶん?」と聞くと、そうだと言う。みんな給料の一部をお寺に寄贈するのだ。
 タイにはたくさんのお坊さんがいて、毎朝、入れ物を持って町を歩き、食べ物を貰う。托鉢はタイの風物にもなっている。いったいどれくらいのお坊さんがいるのだろうか。
 ミャンマーでは小さな女の子や美しい女性の僧もいて、孤児などが多いと聞いた。ネパールやチベットでは口減らしのためにお寺に預けられるとも聞いている。市民がお寺や僧を支えていて、信仰がひとつの社会福祉のような役割を果たしている。


 みな、信心深いのでよろこんで寄贈し、タンブンすることを誇りに思っている。引っ越したお向かいの先生は、毎朝6時半にお寺にタンブンしに行っていたし、もと同僚のゴティ先生もお寺参りした日は嬉しそうだった。
 信仰心のないわたしは、「仕事をもっているのに、朝のパートに出かけるなんて、タイの女性はなんと働き者なんだろう」と思っていて、お寺と分かったときは、ちょっとびっくりしましたね。


 タイでは冠婚葬祭すべてをお坊さんが取り仕切り、日本で死と苦と音韻が同じで嫌われる、4や9の数が縁起が良いとされている。結婚式には9人ものお坊さんが招かれ、お布施の他に藤のテーブルに溢れんばかりのごちそうが振る舞われる。お坊さんは大食感でほとんど平らげ、残った食べ物はお持ち帰りになった。


 どこの街でもよくお坊さんを見かける。女性はお坊さんにさわってはいけないので気をつけている。バスで隣に座ってもいけないのだ。お坊さんが乗ると、みんなさっと立ち、席を譲る。
 以前、バンコクのバスステーションで方向が分からず困っていると、若いお坊さんに英語で話しかけられたことがある。近寄ってもいけないと思っていたのでびっくり!パソコン持っていましたね。あたりまえだけど、お坊さんも普通の人なんですよ。