「木洩れ日の家で」

 帰国して早々、映画好きの友人に電話をしたら「あなたの好きそうな映画をやっているわよ」とお知えてくれた。好きそう?と言うからには多少は気に入るだろう、と思って出かけたが退屈だった。
 91歳のお年寄りの日常を、ゆったりと舐めるようにカメラが追ってゆく。モノクロームの映像で、カラーだったら歪んだ古い窓ガラスに緑の樹々が映って美しいだろう、と思う。
 ポーランドの大きなお屋敷に住む老婦人が過去の思い出に浸りながら、眠ったように犬とともに暮らしている。楽しみは双眼鏡で隣の庭を覗くこと。


 中学生のころ、モーパッサンの「女の一生」を読んで、こんな風に年老いるのは嫌だ、と思った。彼女は年老いて思い出の小箱を開けて、若かった頃の思い出に浸るのだ。手紙を開いて。
 わたしは「嫌なこっちゃ」と思い、その時々の節目で手紙も日記もストーブの中に放り込んだ。あの時は、あ〜だったんだ、などと死んでも振り返りたくない。
 母には「行けば、鉄砲の弾。戻ることを知らない」と言われていたが、面白いことを見つけると我を忘れる。ぽかん、として現実を生きていた。
 願わくば、年をとっても好奇心満々、失敗をもろともせずに生きて行きたいと思う。それとも、わたしも年老いたら眠り猫のような暮らしをするのだろうか?