涙もろさ

 坂本龍一が、なんの時だったか「最近、涙もろくなった」と言っていた。彼の場合は作曲家であり演奏家でもあるから、年を重ね世界に通じる音に対して純真になったということかな?
 わたしの場合の涙もろさは、そんな高尚なものではなく、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、じわ〜っと、涙があふれてしまう。今回サラリーの値上げを反故にされた件で、「なんと独裁的な校長だ、許せん!」と憤慨しながら、片方で昨年に教えた可愛い一年生の顔を思い出したら涙があふれてきた。説明する声も詰まってきて「わたしはあなたの学校の生徒が好きなのよ」というのが精一杯。ふがいないなあ、と思う。
 5月から新学期が始まり、しばらくして放課後のジョギングを再開した。すると、昨年の一年生が追いかけてきて「せんせい、はい(あげる)」と小さな箱を手渡された。箱を開けるとシンプルな黒いポールペンが入っていた。「すわいまあ!(きれいね)」と声をだしたとたん、涙が出で回りが霞んでしまった。彼は1週間もこれをもって、わたしがジョギングを再開するのを待っていたのだ。
 部屋に戻り、新しいポールペンで自分の名前をタイ語でかいてみる。一筆書きのようなタイ文字がするすると書ける。すてきな書き味。これは、わたしの大切な宝もの、死ぬときは棺桶の中に入れてもらおう、そう思った。


オントナブログにタイ記事をUPしました。
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