「空白の5マイル」角幡唯介

20年振りに風邪をひいて最悪な気分だ。
こんなときはコタツで本を読むに限る。街で早々に用事をすませ、友人が教えてくれた「空白の5マイル」を買い自宅に戻る。大きなマグカップにホットレモネードをたっぷり入れて読み始めた。
筆者がチベット、世界最大のツアンポー渓谷に挑む冒険もので、2010年に第8回の開高健ノンフィクション賞を受賞している。
おもしろそうじゃん…と扉を開いたとたん、最後まで本をテーブルに置く事なく一息に読んでしまった。
筆者は2002年から‘03年の旅で伝説的な未探検地である空白の5マイルを探検することに成功した。核心はその5年後に再度、単独で全行程に挑戦したところにある。
究極の沢登りとでも言おうか、行けないじゃん…と思う場面に遭遇する連続で、どうするのだろうか、とはらはらする。立ちはだかる濁流と雪や雨、そして凍傷。ヒルやダニに血まみれになりながら、今までの経験を総動員して生きることに執着する。
ようよう峠に出て、その下にあるはずの村に降りて行くが、村は既になく対岸に新しい村があるのが目に留まる。橋はなく、楽園を目の前にして、またもや行けないじゃん…と橋を探して行ったり来たりする。思わず「ほら、ワイヤーロープがあるはずだよ!」と応援してしまった。そして泳ぐ決断をしたあとでワイヤーロープを見つけるのだ。やれやれ、よかったぞなもし。
冒険とはなにか?
『死ぬような思いをしなかった冒険はおもしろくないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。過剰なリスクを抱え込んだ瞬間を忘れられず、冒険者はたびたび厳しい自然に向う…(中略)その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか』との言葉に、深く同意する。

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