生と死の空間

8848m、世界一高いエベレストは宇宙に最も近い場所であり、そこは生と死の空間でもある。
ハイシーズンには、究極の夢を叶えるために世界中から300人もの登山者が集まり、モレーンと呼ばれる氷河上に大きなテント村ができる。2004年春、私も夢を叶えるためにエベレストの頂上を目指し、夢は叶った。
最終キャンプ(8300m)からは過酷な世界で、ほんの小さなミスが死を招く。キャンプは長大な北東稜の下に位置し、そこからアタックする。
夜中の12時、ヘットランプの繋がっている列に入り、ひたすら稜線を目指して直登する。そのルート上に放置された遺体や座り込んだままの遺体を目にして、恐ろしくて心臓が止まりそうだった。「こんなところで死にたくない」と心底思った。
最大の難関である第二ステップを無事にクリアし、いつ終わるとも知れない長大な稜線を歩き、三角雪田を越え、第三の岩場を登るとほどなくして頂上に着いた。午後1時だった。
「世界のてっぺんに立った!」という喜びよりも下山が心配だった。第二ステップを無事に降りなければならない。ここで3人の登山者が亡くなったことを知った。一人は日本人女性で、最終キャンプで「私のテントはどこなの!」という彼女の声を聞いている。アタックの出発時、彼女は私の少し前にいた。そして、最後に見たのは三角雪田を越えたあたりで、下山してくる彼女と擦れ違っている。その後に第二ステップで滑落して亡くなった。
第二ステップを懸垂下降で降りたところに二つ折りの死体があった。シェルパのパサンが韓国隊の滑落した二人のうちの一人だと言ったが、死亡した二人の韓国人は男性で、その死体は小さかった。今考えると日本人女性の可能性が高い。
滑落の原因は懸垂下降のとき、解けたロープにアイゼンを引っかけた、と聞いた。わたしも同じ状況に落ち入り、すぐにシェルパが降りて来て体制を立て直してくれ、事なきを得た。
その後、私は長大な稜線を終え岩場の下りで酸素ボンベが開かないというトラブルに合う。このときもシェルパが最終キャンプまで戻り、新しい酸素を持って迎えに来てくれた。
無事に下山できたのは、小さなミスを見逃すことなく対処してくれたベテランのシェルパスタッフがいたからだ。そして、神様が生と死のポタンの掛け違いをしなかったこと。
学校が休みの間にネパールの山旅を計画している。今まで大学や本の出版で多忙な生活だったが、今回ネパールに行くことで夢を追いかけた十年間にひと区切りが出来れば良いと思う。お世話になったシェルパや一緒に夢を叶えた河野千鶴子さんにも再会したいと願う。エベレストへと導いてくれた山仲間に心から感謝すると共に「夢追い人」、エベレストに眠るクライマーたちの冥福を心から祈る。
 7summit HP: http://web.me.com/dreamispower/index/Welcome.html