狐 新美南吉

月夜の道を歩く七人の子ども。子どもたちはおしゃべりしながら夜道を急いでいる。いつのまにか闇がひとりひとりのこころに巣くう不安となり、それが暴走しはじめる。

『文六ちゃんがコンと咳をした。
・・・わたしたちの中には狐が一ぴきはいっていると・・・
 文六ちゃんは、じぶんの小さい影法師をみてふと、ある不安を感じました。
 ―ひょっとすると、じぶんはほんとうに狐につかれているかもしれない・・・
 膨れ上がる恐怖に、家に帰った文六ちゃんはお母さんに尋ねます。
「もし、ぼくがほんとに狐になっちゃったらどうする?」と。笑っていたお母さんも、まじめな顔の文六ちゃんに、父ちゃん母ちゃんも狐になると答えます。「でも、雪が降ると餌がなくなるんでしょう。餌をひろいに出たとき猟師の犬にみつかったらどうしよう」

「そしたら、いっしょうけんめい走ってにげましょう」
「でも父ちゃんや母ちゃんは、はやいけど、ぼくは子どもの狐だもん、おくれてしまうもん」
「父ちゃんと母ちゃんが両方から手をひっぱってあげるよ」
「そんなことしているうちに、犬がすぐうしろにきたら?」 
お母さんはちょっとだまっていました。それから、ゆっくりいいました。もうしんからまじめな声でした。
「そしたら、母ちゃんはびっこをひいてゆっくりいきましょう」
「どうして?」
「犬は母ちゃんにかみつくでしょう、そのうち猟師がきて、母ちゃんをしばってゆくでしょう。 そのあいだに、坊やとお父ちゃんはにげてしまうのだよ」文六ちゃんはびっくりしてお母さんの顔をまじまじとみました。
「いやだよ、母ちゃん、そんなこと、そいじゃ、母ちゃんがなしになってしまうじゃないか」
「でも、そうするよりしようがないよ、母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆくよ」
「いやだったら、母ちゃん。母ちゃんがなくなるじゃないか」

「でもそうするよりしようがないよ。母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆっくり・・・」
「いやだったら、いやだったら、いやだったら!」 
文六ちゃんはわめきたてながら、お母さんの胸にしがみつきました。涙がどっと流れてきました。お母さんも、ねまきのそででこっそり眼のふちをふきました、そして文六ちゃんがはねとばした、小さい枕をひろって、あたまの下にあてがってやりました。』

児童文学作家の新美南吉は大正二年に生まれてすぐ母を無くし、若い時から結核を病み、苦労を重ねたすえに太平洋戦争のさなかの昭和十八年、三十歳を前に亡くなった。新美南吉の作品は短編が多いが、『狐』は『手袋を買いに』に収められた小品のひとつである。
『手袋を買いに』の最後は「かあちゃん、人間っていいもんだね」で終わっている。そう、思いたく、そう願う、今日このごろ。

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