日本語教師の前任者たち

派遣先から、前任者の日本語教師が素晴らしかったらしいとうわさに聞いていた。そのあとで、赴任した若者は一ヶ月で去ったという。そんなに素晴らしい教師の後に、西も東も分からない私が赴任して大丈夫だろうかと心配になった。若者のように一ヶ月で逃げ出しかねない。
 職員室の机の上に、前任者が本をコピーして作ったオリジナルの教科書が残されていた。授業計画や報告、文化交流のイベントも申し分なく素晴らしい。私は記録を読み、それから授業計画を立てれば良いと思った。計画倒れにならないためには生徒のレベルを知る必要がある。その上で、目標を立てればなんとかなるだろう。
 一年間のレッスンプランを作るため、机の上を整理し始めた。数年間の資料が机の上に山積みにされている。それらを整理しながら報告を読んでいたら、英文で書かれた辞表が目にとまった。その分厚いファイルは何度か目を通していたが英文だったので見逃したらしい。なんだろうと気になって読み始めた。
 辞表には、学校への苦情が淡々と述べられ、前期で学校を去ることが記載されていた。まず、日本語教師が他にいないということで、この学校を選んだのに赴任したらタイ人の日本語教師がいたこと。これは大きな問題であり、授業スタイルがまったく違うことになる。今まで六年間、タイの何校かの学校において、直接法(日本語のみで教える方法)で日本語の授業を行ってきたが、全く問題はなかった。授業内容が生徒に理解できないときは英語とタイ語で補足してきたからだ。しかし、タイ人のゴティ先生は90〜95パーセントをタイ語で授業を行う。生徒にとっては簡単で、頭を働かせることはないだろう。その上、彼女は日本の文化にまったく興味がなく、日本語のレベルは小学三年生くらいであり、私の質問も分からないのである。イベントの計画を作成して渡しても何ヶ月も机の上に置かれたままだし、クラブ活動をしても生徒が集まらない。理由を尋ねると、この学校はクラブ活動が沢山あって忙しいからと言うが、これは嘘で、生徒は廊下で遊んでいるか、インターネットしているだけである。もし、タイ人の日本語教師が前向きな人であれば、もっと日本の文化を紹介することができるし、私も、もう一年滞在しただろう。今度、赴任してくる日本語教師はがっかりすることだろう、と述べていた。また、クラスの人数についても、中学生は問題ないが、高校生はクラスが四〇人以上もいて語学を教えるには多すぎ、問題があるとしている。各グレード分けのクラスについても言及し、グレードによって語学のレベルが全く違い、一組、二組は問題ないが、三組は「あいうえお」も読めず、話ばかりしてうるさくて授業にならないと言い、三組には日本語は必要ないと言明している。

 わあ、厳しくてびっくりした。若者の次に赴任した教師は私だが、がっかりはしなかった。しかし、記載されていることは事実である。タイのシステムや生徒については、中国語教師のインや英語教師のジェイやレイとも、日頃話している問題でもある。インもレイもタイ語を話すので、直接法だけで教えているわけではない。同僚は、どんなに工夫して教えても、タイの生徒が話せるのは「ニーハオ」と「モーニング」だけだと笑っていた。しかし、彼らは生徒に人気があり、語学に興味がある生徒は職員室にやってくる。インは放課後に中国語の詩の朗読を指導している。中国語の美しい響きに、この生徒は一生この詩を忘れることはないだろうなとうらやましく思っている。
 それに、語学なんて好きであるか、必要と思わなければ習得できないだろう。平和だからこそ選択できるのだ。過去に於いてアジアに侵略した経緯のある日本は、その国の人たちに強制的に日本語を学ばせた。侵略された国の人々にとって日本語は嫌な思い出だろう。中国や韓国、台湾、マレーシアなどで日本語を話す老人に出会ったことがある。マレーシアへ登山に行った時、サバ州の博物館を訪れた。古楽器を演奏する老人が日本語を話し、日本の歌を歌ってくれた。『真白き富士の峰、緑の江ノ島・・・・』茅葺きのステージに風が通り抜け、竹のそよぎとその物悲しい旋律が、今も耳に残っている。
7summit HP: http://web.me.com/dreamispower/index/Welcome.htm