ローツェ南壁

平なところにいると山が恋しくなる。
ラシーン県は赤土の平野で、ライス・フィールドが延々と広がる。今は田植えが終わったばかりで、若草色の苗がみずみずしい。
旅友に言わせると、タイでいちばん退屈な地形だという。さすがの私も、ここに山があればねぇ、と白い峰を想い描いている。
二〇〇三年暮れ、ヒマラヤのニレカピーク遠征のとき、ナムチェバザールでローツェ南壁登攀の日本人クライマー、田辺治氏と北村俊之氏に会った。日焼けした顔に白い歯がまぶしかった。あと、200mのところで登攀を諦めたという。ローツェ南壁はクーンプヒマールのチュクン村の奥にある。標高5350mのベースキャンプから垂直に稜線に立ち上がる巨大な壁の、その威厳をもった力強さに圧倒される。一九九九年のアイランドピーク山行のとき、その巨大な壁の前を通り、首が曲がらなくなるほど見上げ続けた。「孤独の山」のトモ・チェセンが単独登攀したか、しないかのいわくつきの壁である。
彼らはどのルートを取ったのだろう。サーダーのナワンヨンデンさんに集められたシェルパたちは、その登攀の恐ろしさを語ってくれた。またトライしたいかと尋ねると、「ネバー!」と笑った。まだ幼さの残るシェルパたちの笑顔、そのうちの一人のシェルパが「また行く」と答えた。目が強い意思を持っていた。彼は「クライミングが好きだ」と言った。ナワンヨンデンさんが「彼は強い」と補足した。お金を得るためではなく心底、クライミングが好きなのだと思った。思わず彼が家族と長く暮らせますようにと願った。

 その後、二〇〇八年十一月に田辺治氏の素晴らしいニュースを聞いた。三度目に冬季ローツェ南壁を成功させたのだ。その報告・講演会が札幌市でも開かれ、大学の講義をサボって出かけた。見る者を圧倒させる巨大な壁である。目に焼きついた高度差3300mのヒマラヤの絶壁に興奮して、その夜はなかなか寝付かれなかった。
7summit HP: http://web.me.com/dreamispower/index/Welcome.html