マリさん

山のために手持ちのめぼしい作品はみな売り払ってしまったが最初に織ったウールのマフラーだけは手放せずにいまも愛用している。二十年以上たつのにまだふっくらと軽く温かい。これを巻くとマリさんを思い出す。
織作家のマリさんは、十年前に三度目の乳がんが再発して亡くなった。胸の上部に小いさなしこりを見つけた時に触れた感触を覚えている。小豆より小さなしこりがコリッと動き指先からはずれた。彼女は温存手術を選んだ。術後は腕が上がらないので紐を主体とした製作に変った。水彩画も始めて元気とは言えないけど普通に暮らしていた。
数年後に再発したと告げられた時は声が出なかった。いつも明るい彼女を見ていて楽観していた。なぜこんな理不尽なことが起こるのだろう。家族や友人に誠心誠意かかわり、誰よりも健康に留意してきた彼女が、なぜ、また癌なのだろう。彼女自身が一番ショックを受けたはずなのに摘出手術を受けたあとも変ることなく明るく暮らした。ニセコのアトリエを訪ねて一緒に温泉に行き季節の食事を楽しんだ。
三度目に、進行性の癌だと聞かされた時、もう会えなくなってしまうと焦った。彼女は「漢方の食事療法で治すことにした」と言った。抗がん剤を使うと体の良い細胞を弱らせることになるからということだった。自分の力で治すという強い意志を持っていた。
西洋医学を信じるようにと、看護師の友人がアドバイスしても考えを変えさせることは出来ず、彼女の夫は思いどおりにさせたいと言った。そして、家族と離れて本州の施設に入院した。全国から集まった患者が共同生活をしながら食事と漢方の治療を受けていると言っていた。時々元気な声の便りが届いた。ある時、散歩に出て転んだら歩けなくなり家に戻ることになったと言った。
家に戻ったマリさんを訪ねた。彼女は痩せていたが、骨格が美しく声に張りがあり生きいきしていた。家族と一緒の生活が戻り幸せそうだった。車いすから寝たきりの生活になり家族や友人が世話をした。そんな中で夫と子供たちがアメリカへ研修旅行に旅立った。
「寂しくないの?」と聞いたら、「寂しい」とぽつんと答えた。
「でも、わたしのために予定を変えてほしくないの。この旅行は将来、子供たちの糧になると思うから」と言葉をつないだ。彼女は夫と子供たちの帰国を待っていた。そして、帰国後ほどなくして逝った。
ニセコのアトリエで行われた葬儀には沢山の友人が集まった。彼女の夫が「マリは賑やかなのが好きだから」と、読経のあとにサザンの曲を流した。悲しいのに、何か温かいやさしさに満ちていた。階下からギターと歌声が聞こえる。彼がアメリカから買ってきたギターを弾き始めたのだ。マリさんは棺の中で静かにしている。聴こえる?
緑美しく茂れる夏、マリさんは遠くへ旅立った。みんなの心に決して消えることのない爽やかな笑顔と強さを残して。
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