またね

別れるときは何ていうのと聞かれて、ふつうは「さようなら」と言うけど、若い人は「またね」って言うの。「See you ! と同じ意味よ」と教える。「さようなら」は、「さようであるならば」の意味で接続詞であるという。そのあとにどんな言葉をつなげるのだろう。

三週間をクラウデォの家族と過ごし別れるとき言葉に詰まった。いつも歩行が不自由なグラセーラと手を繋いでいた。仕事と勉強に忙しく生活していたわたしは、最初まどろっこしくて、いらいらし体を持て余した。まったく違う時間の流れと価値観に頭の中はこんがらかった。いったいこんなところで何をしているのだろう。
暇なのでインデォのお手伝いさんの仕事を手伝うと「ローサの仕事だ」と言われる。生活格差の大きいメキシコは仕事もなくバラックに住んでいる人々が沢山いる。仕事があるだけで幸せなのだ。ローサは週五日間をクラウデォの家で家事をして働いている。ベットメーキングをし、タイルの床を顔が映るぐらいピカピカに磨き、料理をして、タオルにまでアイロンをかける。実直な仕事振りでグラセーラの良き話し相手にもなっていた。三人でいることが多く次第に時間の流れに慣れていった。料理をしたり、買い物に行ったり、美術館に出かけたりした。こんなふうにゆっくり過ごしたことがなかった。
帰国は朝七時のフライトなので三時半のバスに乗らなければならなかった。家族みんなが起きて空港行きのバスターミナルまで送ってくれた。表情のないグラセーラが泣きそうな顔をして何か言っている。クラウデォが、「ここはMakiの家でもあるから、また来て」と通訳してくれた。「ありがとう」別れはいつも胸が痛む。グラセーラの手を離し別れるのがつらかった。
夜明け前の冷え込みの中でクラウデォと両親が寄り添ってバスを見上げていた。「またね」とつぶやいて手を振った。
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