我らが志の輔?


 志の輔新作落語が聴けるかも? と友人から連絡があった。
それは、行かねば! と意気込んでいるが、ちょうど東京に出る用事があり、どうなるかわからない。


 落語を知っていると、いないでは、物事の捉え方がずいぶん違うと思う。古典落語に登場するわかりやすい人物、長屋の八っあんみたいな人は、この複雑怪奇な現代にいないから、ほっとしてつい笑ってしまうのよね。ーーー現代社会に必要なのは、分かりやすさと、あのおせっかいかも知れない。


 それに、落語の間の取り方は絶妙だ。スピーチの間の取り方や相手を笑いに導くテクニックは難しい。これはまた、文章にも応用できる。「美しい」という形容詞を使うのなら、その美しさを他の言葉でいい表すテクニックや、「おかしい」ことを表現しているのに、書いている自分が笑ってしまっては、元も子もない。ーーー見ていると、落語家は観客が笑うときほど渋い顔をしているね。


 また、落語家ならだれでもいいというわけではなくて、自分の好みの声やテンポがある。
わたしには志の輔の声が合うんだなあ......。それで「我らが志の輔」なのよ。行きたいわな......。