「東京タワー」オカンとボクと、時々、オトン


 『それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。
東京の中心に。日本の中心に。ボクらの憧れの中心に。きれいに遠心力が伝わるよう、測った場所から伸びている。
時々、暇を持て余した神様が空から手を垂らして、それをゼンマイのネジのようにぐるぐる回す。ぐるぐる、ぎりぎり、ボクらも回る』


 週末、リリー・フランキー「東京タワー」をテレビドラマ化したものを見ていた。フジテレビの連続ドラマで、1話から11話まであり、結構長い。オカン役の賠償美津子とオトン役の泉谷しげるの演技がめちゃうまい。筑豊のおばちゃん役にほろりとしてしまった。
 食べさせてさえいれば子供はちゃんと育つと思っているオカンは、料理上手で誰彼なく家に招いて料理を振る舞う。こんなおせっかいおばちゃんはもう日本中探してもいないだろうね。

 そして、彼女がボクにいうセリフ『中川くんは、どんな自分でも認めてくれる人がいるから、自由になれるんですね....』これは真実だろう。とことん愛されて育った人間は優しいさと強さを合わせ持っている。


 この本はひと昔前に話題になった本でカナダの語学研修に参加していた学生が持っていた。
読み終わったからと貸してくれたので、街中のカフェに座り込んで一気に読んでしまった。武蔵美/貧乏/親の愛情/幼馴染/朝餉&夕餉の風景と夢と現実が混沌としていた時代。ドラマは本を超えて心に訴えるものがありましたね。


 あの頃、北海道テレビ放送局のスタッフに日高の七つ沼カールに誘われ幌尻岳に登った。テレビドラマを作っているという若者が「寅さんシリーズの映画を全部見た」と話していた。あの単純さが人々を惹きつけるのだと言っていた。人の気持ちのシンプルさ、なのかな。親が子供を思う気持ちは昔も今も変わらない。
 あの若者は腕の確かなデレクターになり、いくつもの賞を獲得したそうだ。そんなことを思い出しながら、ドラマだと思っていても、つい錯覚して泣いてしまいました。