In Bangkok

 バリバリと空を雷が駆け抜ける音かして、にわかに部屋が暗くなった。
雨が樹木を叩き付ける音が遠くの太鼓のように聞こえる。雨のサウンドを聴きながら泥のように眠っていた。蟻が体を這う感触が眠りを妨げ、手は無意識に蟻を叩く。いつからベッドに蟻が這い上がってくるようになったのだろうか。眠りの合間に聴こえる雨の音は、遠い記憶を呼び起こす。いつだったか、こんなふうに暗闇のなかで雨の音を聴いていたような気がする。
 目覚めるとすでに雨は上がり、西の空が淡いグレイとピンクのまだら模様に染まっていた。樹々の梢は微動もせず、時間が止まったように寂としている。この見慣れてきた風景に、いまタイにいるんだと思う。
 早朝バンコクに着き、同僚のリサに電話したら空港からのフリーバスを教えてくれた。そのバスでバスターミナルに移動し、そこから郊外のショッピングモールへ行った。すでに有名な通勤ラッシュが始まり、リサのバスが遅れて1時間以上もバス停の騒音のなかにいた。ラッシュを避けてリサの通う中心部の語学センターにボートで移動する。これもまた通勤ラッシュでぎゅうぎゅう人を詰め込むので転覆しやしないかとはらはらする。川は真っ黒いヘドロで水しぶきを浴びると臭い匂いがする。思わず背負っていた大型ザックを肩からはずした。こんなヘドロの川で死ぬのは嫌だ。
 リサが教える語学センターに着いたら、事務所のボスが日本語教師を探しているとのことで、危うく契約書にサインされそうになった。経歴を教えてというので一枚目の履歴書に書き始めた。二枚目にサインをして、と言うので目を通したら契約書だった。今、学校で働いているのでサインできないとお断りする。危ないったら、ありゃしない。
 リサとお寺観光して早めに長距離バスステーションに移動する。すると今度は車掌にとんでもないところで降ろされた。「え〜、どうしょう?」物売りのおばさんに、「モーチットのステーションはどこ?」「わたしはカラシーンに行くの」「こんやはバスで寝るのよ」と話していたら、おばさんがバスのナンバーを見てバスに乗せてくれた。「ほんとにモーチットへいくの?」とバスのなかでしつこく車掌に訊いていたら、英語を話すお嬢さんが親切に教えてくれて大丈夫なことが判明した。やれやれ疲れたぜ。
 それにしても、カウオンはなんて遠いところだ。オンボロバスの振動のなかで体を丸めて一晩眠らなければならないなんて、年寄りがすることじゃないぜ。
車掌のおじさんに、「学校の前で降ろして」と頼んで眠っていた。頭は脳みそがとろけるように眠く、体中ばりばりと痛かった。