アラスカ旅 その3

 わたしがいまタイで日本語を教えているとき、アラスカの友人たちはガーデン作りや野菜を植える準備に忙しいことだろうと思う。今年はどんな花を植えようかとウキウキしているに違いない。



 巡り来る季節に心が踊り、過敏なほど反応するのは、北国の人たちだろうと思う。
アラスカの人たちは太陽が出ると、「なんて、すてきなんでしょう!」とみんな外に飛び出す。ロシアの人たちは雪の上でも裸になり、喜び勇んで陽を浴びる。


 北海道生まれのわたしもしかり、なにもかもが芽吹き、豪華絢爛、花爛漫の6月は素晴らしいと思う。
アラスカは北海道と植生が似ている。大雪山で見かける高山植物を近くの山で見ることができる。山に登り、氷河の砕ける音を聞き、サーモンの燻製を作り、地ビールにづつみを打つ。
 単細胞のわたしは「なんて、世界は素晴らしいんだろう!」と思うのだ。



 しかし、途上国の子どもたちを見ると、理不尽な思いにとらわれる。子どもは国を選択して生まれることはできない。ましてや親を選択することもできないのだ。そして、だれもがひとつの人生しか生きられない。



 時々、ふと、今わたしはタイにいるけど、これでいいのかしらと思う。
忙しかったとき、あんなに自分の時間が欲しかったのに、もっと有意義なことや、したいことがあるのではないだろうかと思い、迷う.....。